庭という世界劇場――林達夫『作庭記』

 初出は未詳であり、岩波書店が1939年7月に刊行した『思想の運命』に収録された。第二次世界大戦が始まった頃、あるいはどちらにせよ、参戦にどんどん傾いているなかで書かれたものであるのは確かで、

 

身についた「外国感覚」(サンス・ド・トランジェとルビがふられている)などは振り落とす方がいい時世でありながら、私の場合、歳とともに「日本的事物」がだんだんと縁遠いものになってゆくのを見るのは不幸である。

 

 

 

という一文から始まり、外交官の父親をもち、2歳から6歳までシアトルに暮らしたのであるから頷けることでもあるのだが、

 

却ってかつてはあれほど嫌いだったアメリカという国がこの頃になってひどくなつかしいものになってきたりして、建築などでもオールド・イングリッシュに劣らず、アーリー・アメリカンが好ましいものに思われ出してきた。

 

としれっと書くのだから、肝が据わっている。そのアメリカとは、永井荷風が『あめりか物語』に描いたような、西海岸の北寄りの霧深い林地であり、そうした地方のことを歌にしたマクダウェルの歌曲を聞くと、日本の子守歌以上に心のどこかが揺さぶられるのだという。

 

 そして、近頃小さな庭を作ることを手がけているが、日本庭園が世界的に評価されていることは知っているが、まったく心を惹かれず、むしろ「平凡な、時として幼稚でもある西洋風庭園を幾十坪かの地面に再生しようとしている」ことを述べ、いかにも大知識人らしく、ベーコンの『随筆集』などをひもとくのだが、それは「真に王侯にふさわしいものについて述べ」られており、いったい、西洋の古い時代の庭造りに関する文献には王侯向けのものが多くて参考にならないものだそうだが、結局古雑誌のなかで見つけた、ワシントンのカトリック寺院の造園記録が、ゴシック時代の小庭園を復元してみせているということで、林達夫本人がゴシックの研究家でもあることから虎の巻になったという下りの言葉は悪いが衒学趣味というのか、なにごとについても大きく振りかぶってみせるところも嫌いではないです。

 

 ゴシック庭園というのは、つげやホーリーを主として、それにローズマリー、ラヴェンダー、チムス草(じゃこうそう)、百合、オールド・ローズなどを配するものだという。しかし、ここでのつげはBuxus suffruticosaという矮性の香りのある種類で、日本にはこの文章が書かれた時代にはなかったというが、現在では輸入されているらしい。いずれにしろ、百合ぐらいはわかるかどうか、というくらいの植物とはおよそ無縁の私にはちんぷんかんぷんであって(オールド・ローズは薔薇とどう違うのかがわからない)、そんな私がこうした文章に魅せられるのは、自分が目指す庭というのはアーポレータム、つまり植物図鑑を現実化したような植物園であり、

 

・・・庭仕事によって歴史と美学と自然科学と技術との勉強をしているのである。いわゆる庭いじりは私の最も嫌いなものの一つで、そういう文人趣味には私は縁がない。

 

とすでに十分大きく振りかぶっていたと思っていた林達夫が更に大きく振りかぶり、ますますそういうの嫌いじゃないです、となる。

 

 そもそも私は賃貸ばかりで、自分の庭などもったことがなく、記憶のなかにある庭といっては、祖母の家にあった庭で、祖母の家はまだくみ取り式の便所で、幼かった私は、落ちてしまうと危険だと思われたのか、大便をするときだけは庭先の縁側に新聞紙を敷き、その上でさせられていた。

愚かさの世界――谷崎潤一郎『刺青』

 明治四十三年十一月号の「新思潮」に掲載された。短編小説。翌明治四十四年の十二月には、「麒麟」「少年」「幇間」「秘密」「象」「信西」と合わせて、『刺青』という表題で、籾山書店から刊行される。

 

 「其れはまだ人々が『愚』と云ふ貴い徳を持つて居て、世の中が今のやうに激しく軋み合はない時分であつた。殿様や若旦那の長閑な顔が曇らぬやうに、御殿女中や花魁の笑ひの種が尽きぬやうにと、饒舌を売るお茶坊主だの幇間だのと云ふ職業が、立派に存在して行けた程、世間がのんびりして居た時分であった。」こうしたときには美しいものが強者で、醜いものが弱者であり、美しさを求める結果、身体に墨を注ぎ込む刺青も盛んであった。まだ若い清吉という腕利きの刺青師がいた。奇抜な構図と妖艶な線で名を知られていた。いかにも名人気質らしく、気に入った皮膚と骨組みを持っていなければ、金を積まれても彫ろうとはしなかった。清吉の宿願は自分の気に入った女の肌を得て、そこに自分の魂を彫り込むことにあった。

 

 あるとき、清吉は深川の料理屋、平清の前を通りかかった折に、門に置かれた駕籠の御簾の陰から真っ白い女の足が出ているのに気づく。多くの皮膚を扱ってきた彼の眼をもってすると、この足こそが長年待ち望んだものであることが分かった。しかし、駕籠を数町追いかけたものの、やがて見失ってしまった。この足への思いは恋心へと変じたが、なすすべもなくその年を過ごし、翌年の春も終わろうとするころ、辰巳の馴染みの芸妓からの使いをもって見慣れぬ小娘が訪ねてきた。娘は近々自分の妹分として座敷に出るはずだと便りにはあった。清吉はこの娘こそが去年見た足の持ち主であることを見て取る。

 

 清吉は娘に二枚の絵を見せる。古代中国の暴君紂王の寵妃、末喜が欄干にもたれ、刑を受ける男の姿を見ている図と、若い女が桜の幹に身を持たせかけ、その下に累々と倒れている男たちの死体を見つめている「肥料」と題された絵である。清吉はここにお前の心が映っているはずだといい、娘も自分がそうした性分をもっていることを白状する。自分が隠そうとしていた性分を言い当てられ、不安になった娘は帰ろうとするが、清吉は麻酔剤で娘を眠らせ、娘の背中に女郎蜘蛛の刺青を彫り込んでいく。すでに自らの魂に目覚めた娘は身をゆだね、清吉は娘の第一の「肥料」になる。「折から朝日が刺青の面にさして、女の背は燦爛とした。」

 

 「愚」という徳のあった時分とは、馬鹿正直に受け取れば、江戸時代は文化・文政の町人文化が爛熟したころだともみなせるだろうが、むしろ、いくつもの演目によって作り出された長屋や隠居、与太郎のいる世界を落語国というように、仮設された、それこそ美しいものが強者であり、醜いものが弱者であるような世界であり、生活のありさまが芸術となりえた世界だといえる。

 

 刺青は、絵画や彫刻のように空間的でありながら、時間的でもあるという奇妙なかたちの芸術である。時間的とはいっても、音楽のように非具象的なものではなく、あくまで具象性を備えている。しかし、空間的、具象的でありながらも、作品だけを切り離して鑑賞することはできず、呼吸する皮膚と分かちがたく結びついたそれは、見る時間や気候、さらには刺青された人間の体調や年齢、気分によっても変化する。端的に言えば、気が乗らなければ、見せてももらえないわけである。またそれを創りだす側からいっても、自分の理想とする肌を見つけ出すこと、その人物が画布となってくれることを承認してくれること、そして長い時間にわたる苦痛に耐える体力のあることなど越えねばならない障壁が多く、いざ彫ったとしても、普段は隠されていて見ることができず、公衆の前にあらわれることは決してないだろうという美学などによっては捉えようのない非常に特殊なものなのだ。

 

 実際、私が部分的なタトゥーではなく、本格的な彫り物を見たのは、かつて通っていた銭湯で出会うことのあったおじさんくらいのもので、ただどんな事情によるものか、完成までには至らなかったもので、赤い筋がにじんだようにぼやけて、果たしてなにが描かれているのか最後までわからなかった。

空間の映画――スティーヴン・ソダーバーグ『エージェント・マロリー」(2011年)

 脚本・レム・ドプス、撮影・ピーター・アンドリュース、音楽・デヴィッド・ホームズ。主演のジーナ・カラーノは、総合格闘技の選手で、ウィキペディアによれば、アメリカのスポーツ専門雑誌『スポーツ・イラストレイテッド』で「もっともスポーツ界に影響力のある女子選手」に選ばれたこともあるという。原題のHaywireはもともと刈りとった干し草を束ねておく針金のことで、転じて混乱して、取り乱してなどの意味になることは束ねた草がほどけるとどうなるかを考えれば容易に想像がつくだろう。

 

 話はアクション映画としてはありきたりなものだといっていい。政府から仕事を請け負うこともある凄腕の女性エージェント(つまり、ジーナ・カラーノが演じるマロリー)が、ある事案を解決ししたころから命を狙われることになる。知るべきでないことまで知ってしまったのだ。

 

 ソダーバーグは、それほど関心をもって見続けていたわけではないが、私にとっては難解、というか、よくわからない監督だった。もっともヒットしたのは『オーシャンズ』のシリーズだろうが、豪華な出演者が目を楽しませてくれるとはいえ、ケイパーもの、つまり、それぞれの専門職に長じた犯罪者集団が、巨大な獲物を手に入れるというもので、そこには機械仕掛けのように正確に働き、それでも起きる不慮の出来事に対して、柔軟に対応しながら、目的に向かって進む集団の姿と、できうればあっと驚くような結末の逆転が欲しいところなのだが、三作のどれもそこまではいかなかったのではないかなあ、と曖昧になるのは、実はすべて内容をはっきり思い出せないためなのだが、これは同じく記憶は曖昧ながらも退屈だったと断言できる『ソラリス』などを考慮に入れつつ、今回面白いと感じた『エージェント・マロリー』のことを顧みると、はじめてソダーバーグのことが理解できるように思えた。

 

 ジャンル映画だけに、内容と形式があらかじめある程度決まっているので、ソダーバーグ本来の資質が変異として明瞭に浮き上がっている。思うに、ソダーバーグは物語を語ることや登場人物の感情の微妙な動きなどにはそれほど関心がなく、例えばこの映画でいうならば、閑散な通りを隔てて道の両端を歩く二人の人物、臙脂色の背景のもと画面を斜めによぎっていくエスカレーター、人っ子一人いない飛行場など、ある場面、あるいは構図を見出すことにより満足を感じるような監督なのだと思える。それもコンピューター・グラフィックスや予算をかけてできるだけこれまで見たこともない構図や映像を撮ろうとする現在の潮流とは異なり、どんどん余分なものを排除して、空間を簡潔でクールなものにしようとする姿勢が際立っていて、そのことは『トラフィック』、『コンテイジョン』等々、そしてこの映画も原題は『ヘイワイヤー』という無機質で、そっけないものだったことに端的にあらわれている。

芸と散文――石川淳『曽呂利咄』

 昭和13年、「文藝汎論」5月1日号に掲載された。短編小説である。第二次世界大戦前年の1938年の発表で、小説の舞台となっているのも、天下が一応は統一されたのだが、明に対する侵略を試み、利休を殺すなど、秀吉の誇大妄想と偏執的な部分があらわれてきて、一部の慧眼な人々にはさらなる戦乱が予感されていたころで、万事殺風景になっていた。

 お伽衆の曽呂利新左衛門も仮病を使って太閤からは遠ざかっていた。そんな折、ある夜のこと、曽呂利のもとに石田三成が訪ねてくる。頼みごとがあってのことだ。さる酒問屋において、煌々とした光のなか大盃がぷかりぷかりと宙を漂い、なみいる酒樽の酒をどくどくと注げ受けては空のかなたに飛び去ってしまうという事件が起きた、こうした怪異を放っておいては、事実無根の流言がはびこり、京の秩序が守られなくなる、その探索を曽呂利に頼もうというのだ。

 政治向きのことには容喙しないと決めている曽呂利だったが、かねて目をつけていた太閤秘蔵の狩野山楽の軸物、日の出に鶴をあしらった絵を褒美にもらえるというので気持ちが動いた。お伽衆ともなると、特別な嗅覚が働くものか、早速嵯峨野の奥に怪しげな庵を見つけ、巡礼のふりをして一献汲み交わすあいだに、かの者が源義経の一党でただ一人生死が確認されずに終わった常陸海尊であることを見破った。長生の法を習得し、各国の山々に隠棲していたらしい。発見されたからにはもはやこの国に用はなし、外国に行って切支丹の魔法でも修めることにしようと、飛行の術で飛び立てば、曽呂利の方も山楽の軸を広げ、空を飛ぶのは修験道ばかりではない、芸道の奇瑞を目にも見よ、と飛び立つが、「春とはいへ、夜更の風酔ざめの襟に沁み、はつと夢破れて起きあがつた曽呂利が大きな嚔一つ、ほい、まだ地上に生きてゐたか。」

 

 石川淳は小説や散文の方法についての批判的意識には旺盛で、短編小説はすでに形式的に行き詰っており、新たな可能性は長編にしかないと考えていた。ところで、その長編小説、決してつまらなくはないが、短編や批評に比べるとさほど読み返したくはならないのが私の正直な感想で、思うにそれはこの短編の結末の部分にも、戯画的にではあるが、あらわれているように、石川淳自身仙術程度の効能は芸の力に見いだしており、私などがこういう文章を読むとうっとりするのも芸に対する信頼が共有されているためであろう。長編小説で芸が問題になることはない。プルーストヘンリー・ジェイムズは織物を織りあげるようで、熟練した職人の技を感じるが、芝居、演芸などについていわれることの多い芸は、より身体的なもの、時節にかかわるはかなさと絡み合っていて、危機的な状況のなかで書かれたことがこの短編小説をより輝かせている。

いまだ、あるいはすでにない欲望ーーテリー・ジョーンズ『ミラクル・ニール!」(2016年)

 三つの願いという民話がある。色々とヴァリエーションはあるが、そのひとつはこうである。夫婦して真面目に働き、生活には不自由しないだけの収入をあげている肉屋があった。あるとき、貴族が乗ったきらびやかな馬車が通るのを見かけ、一度でもあんな馬車に乗ってみたいもんだ、仙女でもいれば願いを叶えてもらうのに、と願った。すると輝くばかりの仙女があらわれ、なんでも口にした三つの願いを叶えてあげようといった。どんな願いをするべきなのか、迷っているうちに、その日も終わり、暖炉で温まっているときに、おかみさんは願い事がなんでもかなうとなれば、お祝いに一メートルのソーセージでも食べたいもんだね、とふと口に出してしまい、ソーセージが宙のなかから落ちてくる。夫は三つしかない願い事をつまらぬことに使った妻に怒りをおぼえ、そんなソーセージなどお前の鼻にくっついてしまえ、と怒鳴りつけると、ソーセージが鼻から離れない、これじゃあ恥ずかしくって人前に顔もだせはしない、とソーセージが鼻から離れますようにと最後の願いを使ってしまった。

 

 この映画はこの民話のヴァリエーションであり、いかに欲望が曖昧で明確に言葉にすることができないかをうまくあらわしている。人間よりもはるかに力をもつらしい宇宙人が(もっともモンティ・パイソンの連中が声をあてているので、バカっぽいことこの上ないのだが)、地球を破壊する前に、人間という生物の本性を見るため、無作為に選んだ一人の人間に全能の力を与えることにする。選ばれたのはイギリスのしがない学校の教師(サイモン・ベッグ)であり、何か願いごとを口にし、右手を振ればなんでも実現する。しかも、三つなどと細かいことはいわずに、十日間無制限である。

 

 民話の仙女は異教的な神々の生き残りであろうが、この宇宙人にしても全能の神とは異なり、個人の内心のことまではわからない。願いははっきりと理解されるように口にされなければならない。バスに乗りたいと願えば、ボンネットの上に乗せられるし、死者が甦れと願っても、スティーブン・キングの『ペット・セメタリー』のように、死んだときのままの不気味なゾンビが動きだすだけである。アメリカの大統領になりたいと願えば、早速テロリストに襲撃される。

 

 三つであろうと無制限であろうと、欲望を十分適切に言いあらわすことは難しい。階下に気を引かれる放送局勤めの女性が住んでおり、もちろんその力をもってすれば、セックスや支配することなど容易なのだが、基本的に万能の力を得ても良心を失うことのない彼はそんなことをしても欲望が満たされないことを知る聡明さを兼ね備えている。

 

 最初にあげた民話のヴァリエーションには、なんでも望みを叶えてなるといわれた老夫婦が、お互いに心のなかでこれからも一緒に幸せに暮らせますように、と願って末長く暮らしたというものもあるが、永遠にそれが続いたとすれば、呪縛でしかないだろうが、いかにも教訓的な話らしく、それからも幸せに末長く暮らしましたとさ、で済ませている。現状の維持でしかないことも、それを言葉に出して、願いとしてしまえば、欲望となり、満足のできないものとなる。

 

 幼児期がしばしば生における理想ととられるのは、欲望がまだそれほど分化されておらず、全面的に庇護してもらえるという全能感もあるが、その裏側には言語の未発達によって、まだ欲望を表現できない、という欠如による満足もあるわけで、どちらにしろ、我々はすでに過ぎ去ったもの、あるいはいつの日か到来すべきものとしてしか欲望の満足を思い描くことができない。

トポロジー的身体――立川談志『あたま山』

 

立川談志のものが名演だというわけではないが、まだ頭をくらくらさせるような『あたま山』を聞いたことがないので。]

 

 武藤禎夫編『江戸小咄事典』によれば、『あたま山』のもとになっているのは安永二年の『口拍子』にある小咄だという。先に『あたま山』の筋をいうと、けちん坊がもったいないからとサクランボの種まで飲み込んでしまう。すると頭のてっぺんに桜の木が育ち、満開の桜の花が咲く。花見客が大勢訪れ、どんちゃん騒ぎやら喧嘩やらうるさくて仕方がない。そこで桜の木を引っこ抜いてしまった。ところがそこにできた穴に水がたまり、池となり魚が棲むようになる。今度は釣り客が集まり、船を出すわ網を打つわで、これまたうるさくてしょうがない。そこでこの男世をはかなんで自分の頭の池に身を投げてしまった。

 

 小咄の方はこうである。神田にお玉が池があるが、実はあたまの池である。昔、この辺りに棲んでいた男のあたまに池ができて、鮒や金魚が棲むようになる。珍しいといって遠近から群衆が集るようになった。息子は外聞も悪いし、見物の来ないようにしたいから、山の手からあたまの池を拝見に参りました、という人に向かい、せっかくですが、世上の沙汰がいやになり、夜前、あたまの池へ身を投げました。

 

 お玉が池は、かつての神田松枝町(昭和四十年代の初めまでこの町名があった)、いまの岩本町にある地名で、神田駅の東、秋葉原駅の南に位置する。江戸時代の初めには実際にお玉が池という池があったというが、三代将軍家光の寛永年間には既にその存在が不明となっているという。それ以前は桜ヶ池と呼ばれていたその池の池畔の茶屋にお玉という看板娘がいたが、二人の男に言い寄られ、どちらとも決めかねるままに池に身を投じてしまった。それからお玉が池と呼ばれるようになったという。

 

 つまり、この噺は、「お玉が池」と「あたまの池」というごくくだらない駄洒落の発想から生まれたのだ。また、この小咄には『徒然草』第四十五段からのヒントもあるという。良覚という怒りっぽい僧正があった。坊の近くに大きな榎木があったので、「榎木の僧正」と呼ばれた。そのあだ名は面白くないと、榎木を切り倒してしまった。だが、切り株が残っていたので今度は「きりくひの僧正」と呼ばれる。ますます腹が立つので切り株を掘り起こして捨ててしまった。その跡に今度な大きな堀ができたので「堀池僧正」と呼ばれるようになった、という話だ。

 

 より落語に近い類話もある。安永二年の『坐笑産』にある「梅の木」では、道楽者と信心深い二人の浪人が隣り合わせに住んでおり、信心深い男の頭に見事な梅が咲き乱れる。多くの見物人が訪れ、敷物代で大いに儲かる。それを嫉んだ隣りの浪人が、夜中忍び込むと梅の木を根こぎにして盗んでしまう。盗まれた浪人はがっかりするが、やがてその穴が池となり金魚が湧きでるようになる。隣りの浪人、再び忍び入り、煙草のヤニを投じ金魚をすべて殺してしまう。浪人はいよいよがっかりして、家主のおかみさんに頭の池に身を投げることを告げる。自分の頭にどうやって身を投げられるものか、とおかみさんに言われた浪人は、「イヤその儀も工夫致しおいた。お世話ながら煙管筒を仕立てるやうに、足から引つくり返して下され」と答える。自分の頭の池に身を投げる方法が説かれているのがいちばん大きい。煙管筒とは、その名の通り煙管を入れる筒で、通常刻み煙草を入れるための袋と対になっている。煙管筒は木製のものが多いが、布製や革製の場合、細長く縫い合わせた袋状のものを最後にひっくり返すことになる。それを「煙管筒を仕立てるやうに」と表現したのだろう。

 

 川戸貞吉の『落語大百科』によれば、典型的な小咄である「あたま山」を一席の落語として演じたのは、八代目林家正蔵だけだったそうだ。正蔵はサゲの自分の頭に身を投げる方法について、紐を縫うとき、最初は針目を上にして、それから物差しをあてがってひっくり返す、それと同じで、頭の池にめくり込めばみんな入っちゃう、と説明した。

 

 アカデミー賞短編アニメーション部門にもノミネートされた山村浩二の『頭山』(2002年)では、釣り客や水遊びをする者たちの騒ぎに耐えきれなくなった男が夜のなかをさまよっていると、池に行き当たり、その池を覗き込むことがあたま池を覗き込むことでもあって、合わせ鏡の間に身を置いたように、無限の反復に捕らわれるというような解釈になっていた。しかし、この解釈は私には疑問だった。『あたま山』の最後の面白さとは、トポロジーの面白さであって、無限の生みだす面白さとは自ずから性質が異なっていると思われるからである。