小説

失くした自分と三角の月――稲垣足穂『一千一秒物語』

大正12年1月に「金星堂」で刊行された。およそ70篇の短篇どころか掌編ともいえない詩に近いものが集められている。長くとも2ページ、短いものは2行で終わり、句読点もないので、形式的には詩といっても通じるが、文章の骨格自体は完全に散文である。足穂…

色彩にあふれた曖昧な対象――泉鏡花『龍潭譚』

明治29年11月に発表された。 躑躅が盛んに咲いているというから、夏にはまだ至らない4,5月のことなのだろう。優しい姉に一人で外にできてはいけないよ、といわれていた幼い弟が、山というのほどのことないだらだら坂の続く岡を上ったり下りたりしているうち…

そのものの海――坂口安吾『私は海をだきしめていたい』

昭和22年1月1日発行の『婦人公論』の文芸欄に発表され、真光社から昭和22年に刊行された『いづこへ』に収められた。 筋らしい筋はなく、 私はいつも神様の国へ行こうとしながら地獄の門を潜ってしまう人間だ。ともかく私は始めから地獄の門をめざして出掛け…

愚かさの世界――谷崎潤一郎『刺青』

明治四十三年十一月号の「新思潮」に掲載された。短編小説。翌明治四十四年の十二月には、「麒麟」「少年」「幇間」「秘密」「象」「信西」と合わせて、『刺青』という表題で、籾山書店から刊行される。 「其れはまだ人々が『愚』と云ふ貴い徳を持つて居て、…