ブラッティに進路をとれ――ウィリアム・ピーター・ブラッティ『エクソシスト3』(1990年)

監督のブラッティが原作、脚本もつとめている。撮影、ジェリー・フィッシャー。音楽、バリー・デ・ヴォーソン。 ブラッティは第1作のフリードキンの『エクソシスト』(1973年)においても原作と脚本を書いており、1980年には『トゥインクル・トゥイ…

失くした自分と三角の月――稲垣足穂『一千一秒物語』

大正12年1月に「金星堂」で刊行された。およそ70篇の短篇どころか掌編ともいえない詩に近いものが集められている。長くとも2ページ、短いものは2行で終わり、句読点もないので、形式的には詩といっても通じるが、文章の骨格自体は完全に散文である。足穂…

リアリティのありか――ポール・ヴィリリオ『戦争と映画』

原著は1984年にフランスで、『カイエ・デュ・シネマ』の叢書の一冊として出版された。『カイエ・デュ・シネマ』といえば、ゴダール、トリュフォー、クロード・シャブロル、エリック・ロメール、ジャック・リヴェットたちが、映画批評家として参加し、のちに…

隅田川という主人公――永井荷風『すみだ川』

1909年12月春陽堂発行の『新小説』第十四年第十二巻に発表され、1911年(明治44年)に籾山書店の小説戯曲集『すみた川』に収録された。その後現在の形になるまで、細かい点で多くの修正、加筆などがされている。 俳諧師の松風庵蘿月と常磐津の師匠を…

流動と旋回――花田清輝『復興期の精神』

1946年に我観社より刊行された。我観社は同年発足した真善美社の前身であり、真善美社はこの本の出版によって始まった。第二版はすでに真善美社刊となっている。収録されたエッセイのほとんどは戦前、戦中に『文化組織』に発表された。 『文化組織』では…

色彩にあふれた曖昧な対象――泉鏡花『龍潭譚』

明治29年11月に発表された。 躑躅が盛んに咲いているというから、夏にはまだ至らない4,5月のことなのだろう。優しい姉に一人で外にできてはいけないよ、といわれていた幼い弟が、山というのほどのことないだらだら坂の続く岡を上ったり下りたりしているうち…

そのものの海――坂口安吾『私は海をだきしめていたい』

昭和22年1月1日発行の『婦人公論』の文芸欄に発表され、真光社から昭和22年に刊行された『いづこへ』に収められた。 筋らしい筋はなく、 私はいつも神様の国へ行こうとしながら地獄の門を潜ってしまう人間だ。ともかく私は始めから地獄の門をめざして出掛け…

庭という世界劇場――林達夫『作庭記』

初出は未詳であり、岩波書店が1939年7月に刊行した『思想の運命』に収録された。第二次世界大戦が始まった頃、あるいはどちらにせよ、参戦にどんどん傾いているなかで書かれたものであるのは確かで、 身についた「外国感覚」(サンス・ド・トランジェとルビ…

愚かさの世界――谷崎潤一郎『刺青』

明治四十三年十一月号の「新思潮」に掲載された。短編小説。翌明治四十四年の十二月には、「麒麟」「少年」「幇間」「秘密」「象」「信西」と合わせて、『刺青』という表題で、籾山書店から刊行される。 「其れはまだ人々が『愚』と云ふ貴い徳を持つて居て、…

空間の映画――スティーヴン・ソダーバーグ『エージェント・マロリー」(2011年)

脚本・レム・ドプス、撮影・ピーター・アンドリュース、音楽・デヴィッド・ホームズ。主演のジーナ・カラーノは、総合格闘技の選手で、ウィキペディアによれば、アメリカのスポーツ専門雑誌『スポーツ・イラストレイテッド』で「もっともスポーツ界に影響力…

芸と散文――石川淳『曽呂利咄』

昭和13年、「文藝汎論」5月1日号に掲載された。短編小説である。第二次世界大戦前年の1938年の発表で、小説の舞台となっているのも、天下が一応は統一されたのだが、明に対する侵略を試み、利休を殺すなど、秀吉の誇大妄想と偏執的な部分があらわれて…

いまだ、あるいはすでにない欲望ーーテリー・ジョーンズ『ミラクル・ニール!」(2016年)

三つの願いという民話がある。色々とヴァリエーションはあるが、そのひとつはこうである。夫婦して真面目に働き、生活には不自由しないだけの収入をあげている肉屋があった。あるとき、貴族が乗ったきらびやかな馬車が通るのを見かけ、一度でもあんな馬車に…

トポロジー的身体――立川談志『あたま山』

[立川談志のものが名演だというわけではないが、まだ頭をくらくらさせるような『あたま山』を聞いたことがないので。] 武藤禎夫編『江戸小咄事典』によれば、『あたま山』のもとになっているのは安永二年の『口拍子』にある小咄だという。先に『あたま山』…